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2006年09月30日

書評―『教育と国家』第一章 戦後教育悪玉論―教育基本法をめぐって

 いしだ@あんころチームです。
 あんころブログでは、教育基本法改悪の問題点を知る上で、役に立つ本の紹介をやっていきます。今日は、その書評シリーズの第一回、東京都で教員をやっているペンネーム【数学教師】さんによる『教育と国家』第一章、第二章の書評を続けてお送りします。
 数学教師さんは、全国連絡会の会議にも参加していて、あんころのリニューアルの準備も一緒にしてきた方です。まだ20代で、26日の国会前集会・若手交流会にも参加してくれています。最近は、この『教育と国家』をもとにして、友人との勉強会も行ったとのことです。




書評―『教育と国家』第一章 戦後教育悪玉論―教育基本法をめぐって
【数学教師】


教育と国家教育と国家
販売元 : Amazon.co.jp 本
価格 :
[タイトル] 教育と国家
[著者] 高橋 哲哉
[種類] 新書
[発売日] 2004-10-19
[出版社] 講談社



 教育基本法改正が現状の打開策として取りざたされる昨今です。本書では本来対置されるべき戦前・戦中の教育理念、教育基本法、そして改正案の三者を比較し、歴史的・社会的背景を加えて分析しています。各章は、導入で2人の編集者が悪意もなく語り合い、それに注文をつける格好で著者が論を展開します。編集者の意見が一見大きな問題もなさそうで、ごくありふれたものなので、親近感がわき、読みやすい1冊です。
 この書評だけ読んで「やっぱり教育基本法改悪まかりならん!!」と思うのは嬉しいのですが、ぜひ実際に本を手にとってみてください。それでも「ここはもう少し詳しい話がほしい」と思う箇所が出てくるでしょう。さらに参考文献をはじめ他のデータから実証、批判してください。おもしろい話は私にも教えていただければ幸いです。幅広い「学び直し」の上で、日本国憲法、教育基本法を我々のものとして「獲得し直し」ましょう。
 以下で章ごとに、内容を紹介します。
 
第一章 戦後教育悪玉論
<要旨>
 安倍晋三氏や森喜朗氏を急先鋒とする教育基本法改正論者は、「戦後教育により子どもがおかしくなった。問題の源は教育だから、大もとにある教育基本法の改正が必要である」と主張する。これを「戦後教育悪玉論」と呼ぶ。
『教育と国家』で紹介されている統計 この「悪玉論」の根拠として「少年の凶悪犯罪が増えている」という印象が利用されるが、少年少女による殺人事件は1960年頃をピークに減少傾向にあり、凶悪犯罪も激増どころか有意な増加傾向さえ見られない。戦後、あるいは近年、少年犯罪が増えたという主張には全く根拠がないのだ。さらに戦前・戦中の教育を受けたはずの少女により起こされた残忍な事件を挙げ、「教育基本法以前の子どもは、何となく今より純粋無垢であった」という幻想を打ち砕く。(←『教育と国家』で紹介されている統計。クリックすると拡大したものが見られます。)
 「命の大切さ」を教えるために教育基本法改正が必要だと主張されることもある。教育基本法は戦前・戦中の教育理念と比べてその意味が明らかになる。教育勅語は「天皇・国家の危機に際しては命さえも投げ出すこと」を求めたし、軍人勅諭には「死は鴻毛よりも軽しと自覚せよ」とある。これに対し、教育基本法は「民主的で平和的な国家および社会」、「世界の平和と人類の福祉」を教育の目的とし、これらの実現の根底に「個人の尊厳」があるという理念を掲げる。戦前・戦中の教育理念よりもはるかに現在の教育基本法のほうが「命の大切さ」を指向している。
 インターネットの出現などのメディア環境をはじめとして、子どもたちを取り巻く環境は1950年代、1960年代と比較しても、確かに大きく変化している。しかし、教育基本法改正案(出版時は与党中間報告を指す)は、こうした変化に対応しようという意図がまったくみられないどころか、単なる復古主義としかいえないものである。
 教育現場をみると完全にストレス過剰の状態にある。心療内科的に治療を必要とする教職員の割合は、一般の職場と明確にかけ離れ、老人ホームと同じレベルに達する。これは教育基本法の理念が実現していないところに原因がある。戦前・戦中の流れをくむ政治勢力や文部省・文科省の政策によって、教育基本法は意図的に軽視されてきたのだ。学習指導要領が法的拘束力を持つとされ、そのなかに「愛国心」教育がすでに盛り込まれていることにも表れている。これは、日本国憲法9条にもかかわらず、自衛隊が組織され、戦地にまで派遣されてきたのと同じ構造である。
 
<参考> 愛国心教育・新自由主義教育を目指す勢力の発言から見える本音(本書より孫引き)
安倍晋三:(佐世保市で小学校6年の女子児童が同級生に切りつけられて死亡した事件の直後)「大変残念な事件があった。大切なのは教育だ。子供たちに命の大切さを教え、この国、この郷土のすばらしさを教えてゆくことが大切だ。教育基本法改正が必要性で、党として7月の参院選までに改正案の中間報告をまとめる。」
森喜朗:(長崎市で12歳の少年が4歳の男児をナイフで切りつけ、駐車場から落として殺害した事件後)「両親、国家、地域社会、家族に対し責任を持つことを教えない、教わらない人たちが大人になっている。そこで生まれ、育てられた子供たちは、もっと悪くなるのは当たり前ではないか。そういう意味で教育基本法の改正をやれと言ってきた」
西村眞悟:「お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す。お国のために命をささげた人があって今ここに祖国があるということを子どもたちに教える。これに尽きる」
河村建夫:「教育基本法改正については平成の教育勅語を念頭に議論する」
三浦朱門:「できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺をあげることばかりに注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養ってもらえばいいんです。それが“ゆとり”教育の本当の目的。」
江崎玲於奈:「ある種の能力が備わっていない者がいくらやってもねえ。いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子供の遺伝情報に見合った教育をしていく形になりますよ」
石原慎太郎:「競争する心は強い心であり、嫉妬する心は弱い心でしかない。いかに劣勢であろうとも、競争を行うことは攻撃であり、嫉妬は無為の防御でしかない。子供たちを強い人間に育てようと思うならば、非常に似通った二つの心のうち前者をこそつちかい与えるべきなのです」
「これ(日の丸・君が代に反対する人間は)徹底的につぶさないと禍根が残る。特に半世紀巣くってきているガンだから、痕跡を残しておくわけにはいかない。必ずこれは増殖する」

<雑感>
 「近年少年犯罪が凶悪化している」というのは確かに何となく抱いてしまう印象です。しかし、それさえも、実はある種のメディア操作であり「犯罪数の増加や犯罪の凶悪化は進んでいないにもかかわらず、テレビによる報道時間だけは増えている」というのをデータと併せてどこかで読んだことがあります。次の2冊に多少あったのかもしれません。いずれにせよ、データがきちんとしていて、つかみどころがないとされる現代の子どもを理解するために助けになります。メインはあくまで『教育と国家』の書評ですので、書名のみ紹介しておきます。
 広田照幸 『日本人のしつけは衰退したか』 1999年 講談社 ¥735
 渡部真 『ユースカルチャーの現在』 2002年 医学書院 ¥2310
 
posted by あんころ at 16:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書評

書評―『教育と国家』第二章 愛国新教育―私が何を愛するかは私が決める

続いて、第二章です。第三章以降の紹介もお願いしているので、原稿が届き次第、掲載します。


書評―『教育と国家』第二章 愛国新教育―私が何を愛するかは私が決める

【数学教師】

教育と国家教育と国家
販売元 : Amazon.co.jp 本
価格 :
[タイトル] 教育と国家
[著者] 高橋 哲哉
[種類] 新書
[発売日] 2004-10-19
[出版社] 講談社


<要旨>
 「2004年サッカー・アジアカップで中国からの日本バッシング、翌年中国、韓国での反日デモは記憶に新しい。中国、韓国では被害を強調しすぎる愛国教育が盛んで、反日感情を植え付けている」「一方で日本は愛国心という言葉にアレルギー反応を示しすぎである」などと耳にする。
 愛国心について、歴史的な文脈抜きでの議論は無意味である。日本の愛国心教育は明治時代に、国民を統合しようとした教育勅語から始まる。国のために命を投げ出せる日本人であることが愛国心の証明とされ、結果、日本人310万人、アジア諸国民2000万人の犠牲を出した。また、1950年代の主権回復以来、国家権力を担ってきたのは戦前・戦中と連続性の強い保守勢力であり、彼らはかつて国民精神動員に有効だった愛国心教育を復活させたいと考え、1950年代から教育基本法改正を主張し続けてきた。こうした文脈を踏まえれば、大きな被害を受けたアジア諸国が日本の愛国心教育に警戒するのは当然である。
 自分の属する共同体に「パトリオティズム」などの愛着を持つのは自然な感情である。一方、植民地支配から独立した地域を見れば、「ナショナリズム」さえ、独立のために解放的な役割を果たしたこともあった。仮に、敗戦国日本に対して日本語使用、日本語姓名の禁止などがおこなわれていたら、著者自身も独立運動をおこなう「愛国者」になった可能性もある。「小さな共同体へのパトリオティズムは平和なもの、近代国民国家のナショナリズムは悪」というのは単純化のしすぎで、共同体とは「我々」と他者の区別を内包するものであり、大きな共同体ほど排他的な面が強力になり、暴力性が高まるに過ぎない。何を愛するかや、どのような形の愛国心を持つことも、持たないことなどは本来最も自由な領域に属する。それを法律で規制することは暴力でしかない。教育基本法の「真理と正義を愛する」は、真理さえも犠牲にしてきた戦前・戦中の教育への反省という視点で見れば、画期的なことであった。
 「若者たちに社会や公共性に対する関心を喚起するべきで、そのために愛国心を育て、規律を教え込むことが必要だ」という意見がある。前半部分は一般にはもっともなことであるが、愛国心に至るには飛躍がありすぎる。さらに、ここで注意が必要なのは、明治から敗戦までは「公」が天皇を指しており、愛国心強制を図る人たちは、この特殊な「公共性」を指しているということである。これは3章を読む上でも重要な視点である。

<雑感>
 「戦前と戦後では、確かに法体系としては一変しているが行政・政策としては少なからず連続性がある」という視点が重要です(さらにはGHQ占領による断絶はある勢力にとってはないに等しいということが5章で論じられます)。「愛国心」の危険性と、愛国心をすべて悪とすることの無意味さを27ページにわたって論じています。2章だけでなく本書全体としても大きな比重を占めている重要な箇所です。まとめるために読み返すことにも結構な労力がかかったので、教育基本法改悪に反対する人すべてに理解してもらうとなると、かなり困難を伴うように思います。とはいえ、高橋氏が、「我々は今こそ日本国憲法を我々のものとして獲得し直さなければならない」と代々木公園で話していたことが思い出されます。教育基本法に関しても同じことなのだと気付かされました。
 「規律のために愛国心」については、9月21日の日の丸君が代強制違憲判決を受けての石原の反論を思い出します。「この裁判官は都立高校の実態を知っているのか。教師の話を聞いているのは前の2、3列。あとは弁当食べたり、おしゃべりしたり好き勝手」だそうです。このこと自体何校、何割の都立高校の実態だ??すべての授業でそうなのか??と思いましたが、「わがままをやめさせるために愛国心」という訳のわからない主張をする人が本当にいるんだとびっくりしたものです。
posted by あんころ at 15:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書評

宮城県・仙台で大集会!!

060930_1434~02.jpgあさこ@あんころチームです。

今日は仙台にきました!
「憲法・教育基本法を守りいかす宮城のつどい」3800人が集まりましたっ!!
すんごい いっぱい集まってます。
いろんな立場の人からの発言があって、国会議員も民主党・郡和子さん、共産党・高橋千鶴子さん、社民党・菅野哲雄さんが参加。
全国連絡会おなじみのコールもみんなでやりました〜!!
仙台も熱いです。
先日の国会前集会に宮城からきて発言してくれた教員の人に会いました。
去年、三重の集会で会った大学生の子が、仙台の大学院に進学してて、バッタリ会いました。
愛媛で呼びかけ人の大内さんと一緒にやってた女の子もきていましたー!
それから、実行委員の若い弁護士さん(36歳!)の発言「子どもたちに血を流させないために、私は汗を流したい」も感動的でしたよー。むっちゃカッコいい人でした。

各地でいっぱい頑張ってる若い人がいるんだもん、もっとつながって運動を盛り上げていきたい☆☆
posted by あんころ at 15:07 | Comment(4) | TrackBack(0) | 速報

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