blog_top.gif

2006年10月20日

千葉大のシンポジウムに行ってきました!

061020_2223~0001.jpg061020_1839~0001.jpg

千葉大のシンポジウムに行ってきました!

参加者は会場いっぱいの250人、そのうち3割ぐらいは学生で、それぞれのパネラーの発言もポイントを押さえた緊張感あるもので、話が進むにつれて会場の空気が張り詰めていくことを感じるかなりいいシンポジウムでした。

また、国会前から、難波判決全文と陳述集を持っていったのですが、集会直後に飛び入りで販売したところ、即完売しました!買えなかった人には、ホームページから注文するか、国会前に買いに来てくれるようお願いしました。

 それでは簡単に集会の内容を紹介してきたいと思います。長くなるので、この先は、続きを読むをクリックして読んでください。
 集会の最後に、三宅晶子さんが全体のまとめをしていましたが、その中でも「わたしも千葉大学の中でやろうと言い出すには勇気が必要でした。でも、声をかけていくと、明るい顔が返ってきて、すごく元気になりました。みなさんも怖がらないで、勇気をもって、一緒に考えていきましょう。」という一言が非常に印象的ないいシンポジウムでした。

 まずは、集会で紹介された千葉大有志のアピールを紹介します。このアピールへの賛同をさらに募って、25日に記者会見を行って発表する予定とのことです。



政府「教育基本法案」に反対する千葉大学有志のアピール

今こそ<平和の砦>としての教育の自由を!


 政府は、2006年通常国会に、教育基本法を根底的に改定する「教育基本法案」を提出しました。
 教育基本法は、戦前の、国家による国家のための教育が国民全体を無残な侵略と戦争へと至らせたことへの反省から、教育の独立を確保するために作られました。前文で、憲法の「理想の実現は・・・教育の力にまつ」と宣言されているように、まさに<平和の砦>として作成された、戦後の平和国家の基礎をなす重要な法律です。しかし、前文から「この理想の実現は根本において教育の力にまつべきものである」という文言がなくなり、「真理と平和を希求する人間の育成」から「平和」が削除されて、平和憲法との切断がなされています。
 この法案は、現行法第1条「教育の目的」から「個人の価値をたっとび」を削除し、改定案第2条「教育の目標」に「我が国・・・を愛する・・・態度」等の規範を「人格の完成」の中身として法定化しています。それはまさに、子どもの心の支配を強め、子どもを益々追い込むことになるでしょう。現行法第10条から「国民全体に対し直接に責任を負って」を削除し、改定案第16条と17条によって教育を、教育行政と政府が計画・実施するものにしています。そのことで、教育内容を含めた教育への国家の統制が強化されます。
新たに作られた多数の条文により、生涯学習の理念(第3条)、大学(第7条)、家庭教育(第10条)、幼児期の教育(第11条)、学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力(第13条)等、市民生活のあらゆる場面への介入が危惧されます。また、改定案第16・17条によって実施される教育政策は、現政府が提起している改革の方向を考えるならば、能力主義の強化と競争、市場論理の導入によって、教育格差を益々拡大することが懸念されます。
 私たちは、研究者として、教育者として、自らの研究・教育の場で、学生、教職員、市民のみなさんと共にこの問題を考えるためのシンポジウムに集い、政府案に、以上のような根底的な問題があることを確認しました。よって、政府「教育基本法案」に反対の意思を表明します。
 そして、各大学の研究者・学生、そして市民が、それぞれの場で、この問題を考え、取り組むことを、訴えたいと思います。今、現行法第2条から削除されようとしている「教育の方針」としての「学問の自由」を奪い返し、教育という<平和の砦>を築くために。

2006年10月20日 千葉大学「教育基本法改正」考えるシンポジウム
千葉大学教員・学生有志(小澤弘明、片岡洋子、木村忠彦、栗田禎子、小林正弥、佐藤和夫、長澤成次、三宅晶子、三宅明正、他)



 集会では、最初に三宅晶子さんから、全国連絡会の対照表をもとにした包括的な問題提起がありました。僕は最初の方を聞き漏らしてしまったので、残念ですが、この内容はあんころに載っている対照表をご覧ください。

 つづいて、教育学部の片岡洋子さんから、教育基本法の改悪の理由としてあげられている「少年犯罪の凶悪化」と「学力低下」の問題についての報告がありました。
 「「少年犯罪の凶悪化」は、全くの事実無根であり、少年犯罪は増えておらず、凶悪化もしていないことはデータからも明らかで、むしろ団塊の世代、「少年犯罪の凶悪化」を問題にしているような世代の少年期に少年犯罪のピークがあった。これは社会学者の常識。むしろ過剰報道が増えていて、マスコミが子どもや青年に対する不信を煽っていることが大問題だ。」
 と、指摘され、続いて「少年犯罪が問題になるとしても、その原因を見てみると、少年院に在院中の少年少女の約五割が虐待の被害者であり、そこには教育や福祉の社会保障の不備のため、子どもたちが社会からネグレクトされていることが見えてくる」とお話しされ、子どもが変わってきたのではなく、大人の側に問題があって、その責任を子どもたちに押しつけ、教育を統制することで解決するというのが全くの誤りであることを明らかにされました。
 そして、「学力低下」の問題では、国際的な生徒の学習到達度調査(PISA)と成人に対する科学的関心や基本的知識の調査の結果を比較しながら紹介し、「マスコミでは生徒に対する調査の順位の低下だけを問題にして、学力低下を問題にしているが、実際には、1996年に成人に対して行った調査で、日本はすでに最下位になっていて、ここから学校にいる間は高い「学力」を持っているが、おとなになるとそれが「急落」することが問題としてわかっていた。本当に問題なのは、教育を通じて考える力を育てないことで、「学力低下」ではなく、「学力」そのものの質が問われている。安倍政権がモデルにしようとしているイギリスの教育改革は、すでに「失敗」という評価が下され、イギリス内でも見直しが始まっている。逆に日本国憲法26条や教育基本法と同じ理念の憲法条項をもち、政府がそれを守っているフィンランドでは、学校にいる時間はもっとも短いが、調査では第一位となり、成績の格差ももっとも小さい。」という解説をされました。
 ここでも、問題となるのは子どもではなく、おとなであるということが述べられました。そして、テストでいい点を取るだけで、その後には生かされない薄っぺらな「学力」しか学校で評価されないこと自体を見直す必要があると指摘をされました。
 
 つづいて、文学部教授の小沢弘明さんが「新自由主義と教育の支配」についての問題提起をされました。
 小沢さんは、千葉大学でも起こっている国立大学法人化によって、研究費が削減され、教員への締め付けが強くなっている状況や、今の教育改革を進める側には家庭からの仕送りに贈与税をかけて学生自身が1000万以上の「奨学金」を借りなければ大学に通えないようにするという意見もあるなど、大学でも、教育基本法「改正」の先取りが起こっている現状を報告されました。そして安倍内閣の「教育再生」でも、目玉のひとつになっている教育バウチャー制では生徒が集まらない学校を潰してしまうことが当たり前のものとなっているなど、社会や共同性、公共圏を抹消し、福祉を切り捨て、人々を国家に直接従い、互いに足を引っ張り合う「個人」へと解体していく動きを解説されました。
 また、歴史学の専門の立場から見ても「愛国心」とは、共和制に対する愛、つまり君主制や王政に反対するもの(報告者註:つまり、一人ひとりが自分で考え政治に参加する国家制度に対する愛)だったが、それが国家権力が国民を従わせるための「安価な統合手段」にすり替えられているとの指摘も。
 このような教育改革が、教育自身のためではなく、経済戦略の一環に組み込まれて行われようとしていることの危険を指摘されました。

 次は、教育学部所属で哲学者の佐藤和夫さんの、ジェンダーフリーバッシングを行う側の教育観についての話です。
 まず、千葉で男女共同参画促進条例を制定しようとしたときの議論を紹介されました。それによると、バッシングの側は、千葉県の原案には「性及び子を育てることについての理解を深め、自らの意志で決定できるよう…」と書かれたいた部分のうち、なんと「自らの意志で決定できるよう」という部分の削除(!)を求めてきたとのことです。その結果、千葉県では未だに男女共同参画促進条例が制定されていません。
 そして続けて「ジェンダーフリーバッシングを行う側は、「男らしく、女らしくというのがなくなれば、性別のないなめくじらしくするしかない」と言うが、これは、そもそもわたしたちが自分の力で自分の生き方を決めるのではなく、彼らが考える規範を教え込み、強制するということしか念頭にないことを告白している」と喝破され、互いに他者を理解することの困難さを引き受け、一人ひとりが考える力を持つことが重要だと訴えました。
 さらに、「マスコミでは、強姦されたら女性が喜ぶといったような言説が垂れ流されているのに、そういった中で性について必要な知識を教えようとする七生養護学校の「からだうた」の取り組みの方を卑猥と言って攻撃するのは本当にどうかしているとしか思えない。」「今国がやろうとしているのは、わたしたちをぶっ倒れるまで働かせて、考える時間を奪って、それの間に何でも好きな法律を通してしまおうということだ。全く許し難い!」と、会場の聴衆も引き込んで熱弁をふるわれました。

 最後は、憲法や平和の問題で発言をされている公共哲学が専門の小林正弥さんから、公共哲学の観点からの教育基本法の改悪反対の論理の構築についてのお話がありました。
 小林さんは、自分の立場からは教育基本法の改悪反対論の中には、時には賛成できないものも含まれているが、政府が進めようとしているものは、「公」と「公共」を混同させているところがあり、それをはっきりと分けるべき、また、教育基本法は日本人が主体的につくったものであり、その中心となった南原繁や田中耕太郎の考えからしても、教育基本法に今以上の内容を書き込むことには賛成できない。今の教育基本法や憲法を生かすことが大事だと訴えました。小林さんが所属されている千葉大学公共哲学センターは、今回のシンポジウムの連絡先になっていて、そこの学生さんたちも、教育学部の学生さんと一緒に今回のシンポの準備に力を尽くしていました。

 会場からの質疑では、家庭やジェンダーの問題、法哲学の観点からの法に書くべき内容の問題、学生の実感に即した疑問など多様な意見・質問が出され、時間のために結論に至らないところも残りましたが、問題提起を深めるものになりました。

 そして、三宅晶子さんから、冒頭で紹介したまとめがあり、「今ならみんなが考えて、連帯していけばそれが大きな力を持つことができます。わたしたちも、この取り組みを大学の中で広げていきたいと思います。あきらめないで、怖がらないで、一緒に考えていきましょう。」という呼びかけでシンポジウム全体を締めくくりました。
 そのあとに、交流会があったので、僕もおじゃまさせていただきました。
 先生方から「実は、教育学部では法制度を専門に教える教員がいなくなっていて、大学が補充しようとしていないため、教育基本法のことを教えるかどうかは、ほかの授業を受け持つここの教員にゆだねられている状況だ」といったことなど、大学の内情をお聞きし、教育基本法改悪の先取りは、このように大学の中でもじわじわと、しかも根深く進もうとしていることを知ることができました。
061020_2135~0001.JPG 三宅晶子さんは、「大学で一緒にいても、お互いに話す時間をとれていなかったので、今回のシンポジウムをやって、本当によかったし、楽しかった」とおっしゃっていました。「大学の中に「教育基本法」!「格差」「心の支配」!の文字がはりめぐらされているのを見て、樹々に満ちた見慣れた風景が、まるで目覚めたかのように鮮やかに、くっきり際立って見えて、ぐっときました。」とのことです。
 緊迫感がありながら、何かほっとして、これからの希望が湧いてくるようなシンポジウムでした。【いしだ】
posted by あんころ at 22:34 | Comment(1) | TrackBack(0) | 速報
この記事へのコメント
「国を愛する事」をわざわざ「教育の目標」に書き込まなければいけないと言った事がまず問題です。
国を守る。国を愛すると言った事は国民として当然持っていなければならない最低限の意識だと思います。
その意識を軍国主義だとか、支配だとかに結びつける事自体がナンセンスです。親が子供に教えなければいけません。



http://www.youtube.com/watch?v=EoAmItpLGuE
Posted by 朝否ドットコム at 2006年10月21日 17:20
この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。